アレンは、家族や村人の私欲にまみれた態度にうんざりし、彼らの都合や期待に振り回されるのはもうたくさんだと決意した。ただ周囲に利用される存在でありたくない。 だからこそ、アレンは「自分勝手な勇者」になると決めた。 しかし勇者とはいったい何なのかがわからなかった。
いざ「勇者になる!」といえど、具体的にどうすればいいのか全くわからない。道筋もわからない。戦い方や魔物こと、勇者としての基本的なことさえ理解していないのだった。
「俺が勇者になって言っても、一体何から始めたらいいんだろう…?」
自分を勇者に選んだ張本人である神に、直接聞けば良いのではないか?基本的なことは教えてもらえるかもしれない。
アレンが神殿に足を踏み入れ、神の前に立ったとき、神は少し驚いた様子だった。
「勇者を誇りに思い、使命のために来てくれたか?」といいつつも本音は、「自分勝手な勇者なんか来るな!」と言いたげだ。
だからさぁ「誇りに思うとかじゃなくてさ。俺は別に誰かのために生きるつもりなんてないんだよ。ただ、あんたが俺を勇者に選んだんだろ?
そしたらさあ、あんたが俺様に勇者としてやっていくには、何すればをすればいいのかくらい教えて当然だろ。」
神は少し面食らった様子で、アレンを見つめた。 「おまえは何様だ!神に向かって!」
「だから聞いてんだよ!俺は勇者って言われたけど、具体的に何をすればいいのかまるでわからない。それに、俺は他人のために勇者になりたいわけじゃない。ただ自分が楽しく自由に生きるために勇者になってやったの。
神はその言葉を聞いて少し考えた様子だったが、アレンに「勇者の心得」について語り始めた。
神によれば、勇者にはいくつかの「基礎的な心構え」が必要だという。まずは「自分自身を知ること」。 勇者として力を発揮するためには、自分の強みや弱みを知り、自己覚悟が重要であるらしい。
「なるほど、つまり自分のことをよく分かる必要があるのか・・・。
「自分を知らなければ、君は自分の行動に自信がなくなり、他人の意見に流されるようになる。自分のために生きたいと言うなら、なおさら自分自身を冷静に、どんな状況でも自分の「意思を貫く強さを持つべきだろう」と神は答えた。
次に、神は「勇者としての技能」について説明を始めました。 剣技や魔法の基礎的な訓練、そして戦闘の際に必要な戦略や判断力など、勇者としての技能を磨くことが必要だ。
これは一朝一夕で身につくものではないが、日々の鍛錬を授かることで成長していけるとのことだった。
「ふむ…俺は戦うのは好きじゃないんだけど」とアレンは正直に答えた。
「だって当たったら痛いじゃん。汗もかいて臭くなるし、だるいし」
神は微笑みながら続けた。 「戦いは避けられないこともある。だが、勇者の力を持ちながら何もしないのは、責任を放棄するのと同じことだ。使うかは自由だけど、力を持つことには覚悟が伴うということを忘れないでほしい」
さらに、神は「他者とのコミニュケーション」についても話し出した。 勇者は人々の希望の象徴であり、時には困難な状況で支えとなることが求められる。 そのためには、周囲との良好な関係を築く力も重要だと神は言う。
「でも、俺は別に誰かと仲良くするつもりはないんだ。みんな、俺を勇者と見て利用しようとばかりするからさ」とアレンは口をとがらせて言った。
神は少しだけ同情しながらも、最終的にはアレンの決意を受け入れた。 「君の道を選ぶことができるのもまた、勇者の特権だ。君がその道を歩むなら、それが正しいと」信じて貫くがいい。ちなみに、君の行動には責任が伴うことも忘れないでほしい」
一方、神との対話を通じて、アレンは「勇者としての在り方」を少しずつ理解していった。 自分勝手に生きることを選んだアレンにとって勇者は「自分のための肩書」であり、他人のための勇者ではない。
この物語にぴったりの絵本として、『わがまま勇者の冒険日記』を紹介しようと思います。 この絵本は、自分の思いに熱心に忠実に生きようとする勇者が、少しずつ本当の意味での「勇気」と「責任」を見つける物語だ。
主人公の勇者は、最初は自分のためだけに生きようと決め、他人の期待や義務に縛られることを拒否されていた。彼が出会ったさまざまな面白いことが、彼の心を少しずつ変えていき、自分自身の勝手な行動がどのような結果を生み出すのかを見ていく。
『わがまま勇者の冒険日記』は、子供たちにとって自分の気持ちや信念を大切にすることの重要性を伝えつつ、他人への配慮や行動の責任についても読みやすい絵本です。また「自分勝手と自由の違い」について考える機会を得ることができるだろう
アレンのように「自分勝手な勇者」を選んだ者も、時には他人との関わりの中で成長し、自己中心的な生き方から少しずつ変わっていく。その変化を描いたこの絵本は、自由であることの本当の意味を考えさせられる一冊だ。
コメント